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札幌高等裁判所 昭和48年(ネ)128号 判決 1974年6月26日

控訴人

大島武二

(仮名)

右訴訟代理人

佐藤太勝

被控訴人

右指定代理人

宮村素之

主文

本件控訴を棄却する。

訴訟費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

第一控訴人がその主張の約束手形の所持のとなつたこと、その手形を呈示したところ支払いを拒絶されたこと、控訴人が右手形の振出人である中町水産を債務者として帯広簡易裁判所に対し、右手形金請求の支払命令を申し立て、同裁判所は昭和四五年一一月一八日同裁判所昭和四五年(ロ)第一〇二一号事件として支払命令を出したこと、右支払命令に対し中町水産は異議を申立て、右事件は釧路地方裁判所帯広支部昭和四五年(手ワ)第五六号事件として同支部に係属し、同支部裁判官田中一郎<仮名>担当のもとで手形訴訟により審理が開始されたこと、第一回口頭弁論期日が昭和四五年一二月二五日、第二回期日が昭和四六年一月一三日、第三回期日が同年二月五日に開かれ、第三回期日において事件が通常手続に移行されたこと、同年六月一六日に「原告勝訴」の判決が言渡されたことはいずれも当事者間に争いがない。

第二  ところで、控訴人は昭和四六年一月一三日に開かれた前件第二回口頭弁論期日において田中裁判官に対し早期に判決を言渡して欲しい旨申出ていたが、同裁判官は昭和四六年二月五日の第三回口頭弁論期日において控訴人が何ら通常移行の申述をしておらず、従つてその効果が発生していないにも拘らず、職権を濫用して通常手続としての訴訟手続に則り訴訟指揮をなし、その結果訴訟を遅延させた旨主張する。

そこで、先ず、控訴人が右主張のように通常移行の申述をしていなかつたか否かにつき以下審案する。

一ところで、控訴人の右主張に添う証拠は、原審及び当審における控訴人尋問の各結果をおいて他になく、右尋問結果中には、「控訴人は前件に関する書類の作成その他一切につき司法書士である阪井和美に依頼し、右訴訟追行についての指導を受けていたところ、同司法書士から前件は手形訴訟によるものであるから早期に手形判決が得られる旨の説明を受けるとともに、口頭弁論期日にその旨裁判官に希望を述べるよう示唆されていたこと、そこで控訴人は前件第一回口頭弁論期日において裁判官に対し早期終結を要望するつもりでいたが、当日はその機を失い、第二回口頭弁論期日を迎えたので、同期日において前記司法書士の説示どおり前件被告中町水産が主張する事実によつても振出人としての責任を免れうる理由にならないから早急に判決をして欲しい旨述べたこと、ところが田中裁判官から知つた振りをするなと怒鳴られたため、これ以上発言することが困難になり、第三回口頭弁論期日にも専ら裁判官は相手方弁護士と終始話しているだけで控訴人とは何らの対話もないまま訴訟が進行したこと、かような次第であつたから、控訴人としてはその後第四回、第五回の各口頭弁期日にも裁判官に対して発言したいと思いながらもそれが出来ないうちに第六回口頭弁期日において終結になつたこと、かような経過からして、控訴人が自ら通常移の申述をしたことは全くなく、当時そのような通常手続への移行がなされていたことはもとより知る余地もなかつたこと、控訴人は前件訴訟が終結してから判決の言渡しまでの間に、偶々別件の審理で簡易裁判所の法廷に臨んだ際、同法廷の裁判官が他の事件関係者に対し通常移行の趣旨を詳細に説明しているのを聞きはじめてそのような手続の存在することを知るとともに、前件手続について多少の疑問を抱くに至つたこと、その後電話で裁判所に問合せているうち前件が通常移行されていることを知り、その後判決正本の送達を受けて、右判決書の表題に(通常移行)と括弧書きされていたのでこの事実を確認したこと、かような次第であつたので、前件訴訟手続中においてこれが異議の申立てをしなかつたのは、その前提を欠いていたことによるものである。」等の趣旨の各供述部分がある。

二そこで、以下右供述部分に反する証拠につき検討を加え、その信用性について判断する。

1  <証拠>によれば、前件第三回口頭弁論調書の「弁論の要領」欄には、右弁論期日において控訴人が「通常移行申述」をなした旨明瞭に記載されている。そして、右申述は、民訴法一四四条所定の「弁論の要領」として必らず調書に記載されることを要する事項であり、いわゆる調書の実質的記載事項に関するものであることは論をまたない。

およそ、弁論調書の実質的内容についての記載がある以上、右調書は書記官および裁判官において、その記載内容が事実と合致することを公認した報告文書であるから、その性質上、特にその記載につき当事者から異議の述べられた形跡のない場合においては、特段の事情のないかぎり、そこに記載されているとおりの事実があつたものとの推定が働き、他の文書と比較できない程の強力な証明力を有するものである(昭和四四年(オ)第一〇五三号同四五年二月六日最高裁判所第二小法廷判決、民集二四巻二号八一頁参照)。

そして、本件においては、前件各口頭弁論期日に控訴人を含む当事者から右記載事項につき異議の述べられた形跡のないことは後記認定のとおりであり、原審及び当審における控訴本人の前掲供述以外には右にいう特段の事情を窺わせるものもないところ、右供述部分が措信しがたいことは後述のとおりである。すなわち、

2  原審証人杉村英一の証言中には、「前件第三回口頭弁論期日において田中裁判官が控訴人に対して通常手続へ移行してもよいかという趣旨の発問をなし、控訴人はこれに対して敢えて異論を述べることもなく、ただ黙つていたこと、そこで同裁判官は控訴人が右発問趣旨を了解したうえ、これに応ずる態度を示したものとして、爾後通常手続による審理を行つた。」との趣旨の供述部分がある。

(一) そこで、先ず、田中裁判官において右証言のような内容の発言がなされたか否か以下検討する。

(1) <証拠>によれば、前件訴訟の経過は次のとおりであつたことが認められ、他にこれを左右するに足りる証拠はない。すなわち、控訴人は前件第一回口頭弁論期日において請求の趣旨、原因の記載がある準備書面を陳述したものであるが、そこに記載されている請求原因には、控訴人の権利帰属の理由づけとして手形法一六条一項に基づく裏書の連続ある手形所持についての主張構成はとられておらず、いわゆる慣行的主張方法により控訴人が前記約束手形を現に所持していること、控訴人は昭和四五年九月七日訴外有限会社北田組木工場より裏書により護受け、更に訴外十勝信用組合に宛て裏書護渡していること、右組合が右約束手形を支払期日に支払場所において呈示したところ、その支払を拒絶されたこと、控訴人は同日右手形を受戻したこと等の各事実が記載されていること、これに対して、相手方の中町水産は控訴人の主張中手形所特の点を認めたが、裏書による護受、護渡の点は否認し、呈示、支払拒絶、受戻し等の点は不知と答弁して、これらの事実を争つたこと、そこで控訴人としては手形上の権利が自己に帰属するに至つた経緯として振出、裏書、受戻しの関与者の各手形行為を立証しなければ自らの主張を裏付けることができない状況に置かれたこと、このようなことから、控訴人は同期日に田中裁判官から右係争事実の立証のため「原告本人尋問」の申請をするよう促されたので同日弁論期日外でその申請をなし、更に第二回口頭弁論期日には右立証のため甲第一号証として本件約束手形を提出したこと。

(2) もつとも、控訴人は前記準備書面記載の請求原因はその記載事項につき裁判官が釈明ないし弁論の全趣旨から善解すれば手形法一六条一項に基づく主張とみられうるものであるから、前件は既に甲第一号証として約束手形を提出することによりその立証が尽されているとみるべきであり、通常移行すべき事案ではなかつた旨主張する。

しかしながら、手形法一六条一項による訴訟は当該手形の記載上、受取人から最後の裏書人である。手形所持人に至るまで順次裏書の記載があるという手形上の記載と、このような裏書の連続ある手形の所持という現在の外形的事実を要件としているものであるところ、<証拠>によれば、本件約束手形は、振出人中町水産、受取人北田組木工場と記載され、この裏書欄には右受取人の記載があり、その被裏書人欄は空白、次の裏書人欄には控訴人の記載があり、その被裏書人欄には十勝信用組合の記載があるのみで、その記載上いわゆる裏書の連続があるものとは認められない。従つて、控訴人の右主張はその点において失当といわざるをえない。

(3) そもそも、手形訴訟は簡易迅速な処理を目途として設けられた手続であることから、証拠方法の即時性が要求され、これを充たすため原則としてこれを書証に限定するとともに、唯一の例外である当事者尋問も文書の真否又は手形の呈示に関する証拠方法について制限的、補充的に許容するに止めたものであるが、かかる厳格な証拠制限は他方右手続により利益を享受する立場にある原告に対して作用することになり、偶々手形訴訟を選んだ結果、自己の立証責任を負う事実が争われ、その証明を尽すことができず、手形訴訟では勝訴の見込みを失う場合も生ずる。而して、原告としては、訴訟を提起するに当り、その際手形訴訟により提訴するか、通常手続により提訴するかの選択権を有するところから、これに対応して、一たん手形訴訟による提訴後でも、訴訟係属の効果を維持したまま、右のような証拠制限をすべて解除させるため通常移行の道を開いたものであつて、これは専ら原告の利益のためにのみ認められた制度であるというべきである。このように、手形訴訟から通常手続への移行は原告にのみ認められた権能であつて、原告は相手方の承諾も要しないで通常移行の申述ができるのみならず、右申述はいわゆる与効的訴訟行為として、その申述がなされた時通常手続への移行の効果を生じ、裁判所はその効果が発生したものと認めれば、特に裁判をすることなく、爾後通常手続に則り審理を続ければ足りるものと解すべきである。しかも原告が手形訴訟における証拠制限のもとで自己の主張事実を立証しえない立場に置かれた際、特に原告がいわゆる本人訴訟による場合には、裁判官としては訴訟の公正妥当な追行を図る必要から、訴訟指揮上の措置として右原告に対し通常移行の申述についての適当な示唆を与えることは、右制度が上述のとおり原告の利益のために存することからみても当然予想しうるものといわざるをえない。

叙上法理に立脚してこれを本件についてみるに、前記認定の事実によれば、控訴人は前件訴訟において本件手形の裏書による譲受、譲渡、呈示、受戻しの各事実を証明しなければならない結果を招き、これを立証するためには手形訴訟の証拠制限上、右訴訟手続によつては控訴人申請にかかる本人尋問すらこれに抵触することとなり、これ以上審理を続けることはできず、このまま終結すればもははや控訴人の勝訴の見込みは全く考える余地もなかつたことが窺われる。従つて、かかる状況の下においては、田中裁判官が控訴人の右立場を考慮し、同人のために通常移行の申述を示唆したであろうことは容易に想定しうるものといわざるをえない。

(4) 右のような事情を前提にして、前掲杉村証人の証言を併せ考えれば、田中裁判官において少くとも右証言の趣旨に添うような控訴人に対する発問があつたものと認めざるをえない。従つて、控訴人の右認定に反する供述部分は直ちに措信することができない。

(5) もつとも、原審証人杉村英一の証言中には、「前件において被告であつた中町水産は本件手形が第三者に詐取されたものであり、控訴人の本件手形の取得については悪意か善意であつたとしても重大な過失があつたものと主張をなし、この立証をしなければ敗訴することが明らかであつたので、被告の訴訟代理人であつた右証人としては、前記事実の立証のための証人尋問を求めるため、第三回口頭弁論期日において通常手続への移行を希望した。」趣旨の供述部分がある。そして、右証言のみによれば、一見前件において通常移行したのは専ら被告の利益のためになされたかのような感を与えないでもない。

しかしながら、通常移行の申述が原告の利益のためにあることは上述のとおりであり、仮に右証言のような前件被告側の諸事情があつたとしても、裁判所の立場からすれば既に認定したように控訴人のためその利益を考慮して右申述をさせるべくこれを促したものとみるを相当とするから、右証言部分をもつて直ちに控訴人の前記供述を補強する証左となしがたい。

(二) 次に前記杉村証人の証言によれば、控訴人は田中裁判官の上記発問に対し、控訴人が特に異議を述べることもなく、ただ黙つていたことが肯認できる。

(1) ところで、本件で問題とされている通常移行の申述は上述のとおり、原告の裁判所に対する単独的訴訟行為としての意思表示であり、民訴法一五〇条一項により書面または口頭ですることができ、口頭による申述は通常口頭弁論期日において原則として明示的になされるべきものであることはいうまでもない。

しかしながら、前に見たような前件の訴訟経過のもとにおいて、田中裁判官が前記認定のように肯定の形で応答できるような発問をなし、右発問を受けた当事者が積極的にこれを否定するような応答をせず、その後の審理にもこれにつき異議を申立てることはもとより何らの異論を述べることもなく、これに応じた等後記認定のような事情がある場合には、訴訟行為の解釈上、控訴人のかかる態度からみて明らかに通常手続への移行を肯定しこれと同言の陳述をしたものと同視すべき有為動作があつたものとみられても仕方がないところであり、ひつきよう前件において通常移行の申述がなかつたとは断じがたく、これと趣旨を異にする原審および当審における控訴人本人尋問の結果はすべて措信しがたいところである。

(2) そして<証拠>によれば、田中裁判官は前記のような訴訟の経過、控訴人の態度からみて前件第三回口頭弁論期日に控訴人において通常移行の申述があり、右移行の効果が発生したものと認め、そのまま通常手続により審理を続けるとともに、同期日における立会書記官清水善次も右申述の事実を認識のうえ、当該期日の口頭弁論調書に控訴人の弁論内容として「通常移行の申述」の記載をしたものであること、更に、同裁判官は前記のとおり通常手続に移行された右期日において前件被告訴訟代理人から申請がなされていた手形の流通に関与の証人二名を後日取調べることとし、当日予定されていた控訴人申請にかかる本人尋問は延期されたこと、その後昭和四六年三月三一日の第四回口頭弁論期日に前件被告申請の証人二名の採用決定がなされ、同年四月二一日の第五回口頭弁論期日にそのうち証人一名と控訴人の本人尋問が行われ、同年五月一四日の第六回口頭弁論期日に残り一名の証人申請が撤回され、結局弁論の終結に至つたこと、この間控訴人はその都度右各口頭弁論期日に出頭し、他方前記坂井司法書士とも綿密な連絡を保ちながら右訴訟を自ら当事者として追行していたのであるが、その第三回口頭弁論調書に、前記のとおり通常移行の申述があつた旨の記載がなされていることにつき、控訴人を含む当事者から異議は述べられず、また事実上通常移行の手続がとられ通常手続で審理が進められているのにも拘らず、右当事者からは何らの異議もなかつたのみならず、右通常移行の申述があつたことと明らかに矛盾する訴訟行為も何らとられなかつたことが認められ、右認定に反する原審及び当審における控訴本人尋問の結果は措信しがたく、他に右認定を左右すべき証拠はない。

三以上によれば、前件においては、その第三回口頭弁論調書に通常移行の申述がなされた旨の記載があり、かつその記載のあることにつき当事者から異議の述べられた形跡は一切なく、また事実上右通常移行の申述がなかつたことを認めるべき特段の事情についてもこれを肯認できる証拠はないというべきである。従つて前記第二、二、1で説示したとおり、前件第三回口頭弁論期日においては、当該期日口頭弁論調書の記載事項どおり通常移行の申述がなされたものと推認するほかはないから、右通常移行の申述がなかつたことを前提とする控訴人の本訴請求は爾余の点について判断を加えるまでもなく、失当として棄却を免れない。《以下、省略》

(松村利智 長西英三 山崎末記)

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